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列強の戦車が急速に進化する中、それまでの主力であった「八九式中戦車」が時代遅れと判断され、1937年に開発されたのが九七式中戦車チハである。
八九式中戦車の大きな欠点として問題視されていた移動速度を改善(25km/h→38km/h) 日本戦車の伝統となるディーゼルエンジンも出力が向上し、最大装甲厚も増した(17mm→25mm)
全体的に近代化が進んだ中戦車となり、開発はそれなりの成功を納めたが、この時期の各国戦車の発展はめざましく、1940年代には既に旧式化していたと言わざるをえない。
これは戦車における戦闘の流れが「歩兵支援」から「対戦車戦」に移った事が大きな要因と言える。 八九式中戦車から「歩兵戦車」のコンセプトを引き継いだ九七式中戦車にはおのずと限界があったが、車体設計には若干の余裕があり、後により貫徹力の高い47mm砲を搭載した新砲塔バージョンへの改良が可能だった。
防御力については最大でも25mmと世界的な水準を大きく下回っており、対戦車戦での被弾は即戦闘不能を意味したと言われる。
あらゆる面で非力であった印象の強い九七式中戦車(57mm砲塔)だが、本来の目的である歩兵支援戦車として中国戦線や南方戦線で活躍した。
日本の戦車史を語る上で欠かせない中戦車である。
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